第37回「怒れる人たち」
職場のメンタルヘルスに関する事例・対策などについて、専門家が解説します。
数年前、秋葉原で起きた通り魔事件が投げかけた問題は大きい。さまざまな社会問題をはらんでおり、今も課題として突きつけられている。
職場でいじめ
25歳の悠太は派遣従業員として、食品工場に勤務している。勤務が始まって3週間、まだ仕事には慣れない。悠太の仕事は決まってなく、その日に手が足りない場所で作業することになる。なので、なかなか仕事を覚えきれずにいた。
悠太は、突然「あのババアを殺したい」「工場にいるヤツら全員を殺したい」などと言った。理由を聞くと「すげえ、うるせえから」「マジで殺してえ」と言う。職場にいる中高年のパート女性から執ようないじめにあっていると訴えたのだ。
彼女はベルトコンベアーの前に立ちはだかって神のように君臨し、周囲で仕事しているパート従業員や派遣従業員に命令している。仕事中、「早くやれ!」「何してるんだ!」などと怒鳴る。周囲に正社員がいるが、彼女は勤務経験が長いので、誰もその言動を注意しない。恐らく正社員よりも社歴が長いのだろう。
やがて、エスカレートして「呼ばれたらすぐ来い!」「バカじゃないか」「ほんと仕事できないヤツだ!」などと怒鳴る。そのあげく、「こんな仕事のできないヤツはいらないからクビ! こいつをどこかにやって、別の人間に変えてよ」などと暴言を吐くという。
将来への不安
悠太がもし大量虐殺をしたら、と考えたらぞっとする。怒りの衝動はコントロール領域を超えかけ、今にも実行しそうな状態だった。表情は冷静で顔面蒼白だったが、全身に殺意がみなぎっていた。周囲の人々を機関銃か、ナイフで皆殺しにすることをイメージしていた。
悠太には、しばらく過激な空想をしてもらった。時間がたつと彼の攻撃性は下がり、心が落ち着いてきた。人間には「人を殺したいほど憎い」と思うことがある。そのことを空想するのはよくあることだ、と説明した。そんな話をしたら、悠太は気持ちが落ち着いて、自分について話し始めた。
悠太はプロのミュージシャンになることを夢見て、頑張っていたが、なかなか芽が出ない状態だった。そんな折、父親ががんになった。入退院している間に、家も経済的に困窮してきた。悠太は自力で生きていかなければならない、という思いが強くなっていた。それで派遣に登録し、今の工場勤務になったのだ。最近、父親のがんが再発し、悠太は仕事が終わると、病院に駆けつけていた。
そうした家庭事情もあり、悠太はストレスで情緒不安定になっていた。父親のがんや将来への不安、派遣先のいじめが重なり、うつ状態だった。そこで憎しみが病的に増大し、殺害衝動になっていた。
悠太のような青年は珍しくない。彼らの多くは、なんらかの不安定さを抱えている。悠太には、思春期特有の不安定な精神状態があった。そのため、嫌になったらいつでも辞められる仕事を選んだり、ちょっとしたことで心が傷つくので怒りの衝動が自分ではなかなかコントロールできなかった。
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●河田俊男(かわだ としお)
1954年生まれ。心理コンサルタント。1982年、アメリカにて心理療法を学ぶ。その後、日本で心理コンサルティングを学び、現在、日本心理相談研究所所長、人と可能性研究所所長。また、日本心理コンサルタント学院講師として後進を育成している。翻訳書に「トクシック・ピープルはた迷惑な隣人たち」(講談社)などがある。
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