日本は地形や地質、気象条件から自然災害が発生しやすい国である。直近でも熊本で地震が発生し、台風や豪雨などによる水災害が頻発化している。災害にあえば誰もがショックを受け、経済的なことやメンタルなど、さまざまなダメージを受ける。中には災害にあったトラウマが癒やされず、精神的に不安定になる人もいる。

被災した記憶がよみがえる
54歳の裕子は金融関連会社で派遣社員をしている。彼女は地震の報道があると、阪神淡路大震災で被災したことを思い出し、情緒不安定になった。
1995年に阪神淡路大震災が発生した当時、裕子はマンションに住んでいた。ベッドで寝ていた彼女は、大きな揺れで飛び起きた。ガラス戸が割れ、冷蔵庫が倒れ、テレビが飛んだ。揺れがおさまるまでベッドにしがみつき、おさまったら玄関でスニーカーに履き替えた。貴重品と着替えをバッグにつめてベランダから外へ出ると、1階から「助けて〜」という声が聞こえた。
しかし、彼女はその声を無視して、両親が住む実家に急いだ。実家まで歩く途中で、つぶれた家屋から悲鳴や助けを呼ぶ声が聞こえ、あちこちで火事が起きていた。4時間かけてたどり着くと、実家は倒壊していた。なすすべがなく、裕子は近くの避難所に向かった。後で分かったことだが、両親は家の下敷きになり、亡くなってしまった。
避難所で危険な目に
裕子は避難所で水をもらい、わずかな時間だが、眠ることができた。トイレに行こうとして起きると、持ってきたバッグがなく、盗まれたようだ。翌日、彼女はその避難所を後にして実家に戻ると、偶然、子供の頃の友人に出会った。その友人に避難所で盗難にあった話をすると、別の避難場所を教えてくれた。
友人が教えてくれた避難所は、実家にいたときに顔見知りだった人たちが集まっていて裕子は安心できた。ところが、数日後の早朝、親切にしてくれた中年男性から性的暴行を受けそうになった。裕子は、すぐにその避難所から出て、別のところに行くことにした。
PTSDで普通の生活を送れない
その後、裕子は被災地から遠く離れた場所で生活を立て直したが、震災から何年たっても、どこかで「助けて〜」という声が聞こえるようになった。夏のセミの声や秋のコオロギの鳴き声も異様な音に感じていた。また、時折「どうして自分はマンションの1階の人たちを救わなかったのか?」という思いが込みあげてきた。
さまざまな罪悪感が出てきて、裕子はつらくなった。時間が経過するにつれて、被災したときのことを思い出す機会は減ったが、災害の報道を見ると、過去の経験がフラッシュバックした。それで不安になり、眠れなくなった。
人は地震や津波などの自然災害に遭遇すると、やがてPTSDになる。被害の瞬間がフラッシュバックし、不安に襲われるのだ。そして眠れなくなったり、普通の生活を送れなくなったりする。
癒えない悲しみ
コロンビア大学の心理学者、ジョージ・ボナンノの調査研究によると、葬儀から1カ月ほどで会葬者の60%の悲しみの感情は薄くなるが、遺族の15%は数年にわたって悲しみが続くことが分かった。
自分にとって大切な対象を失ったことで生じる心理状態を「対象喪失」という。裕子は震災で両親や実家、職場の人たち、ふるさとの風景など、大切なものを喪失した。彼女は被災後に実家のあった場所に行くこともなく、できれば忘れたいと思って生きてきた。それはPTSDが続いた一因になったと考えられる。
また、裕子は地震のショックで一時的に「失見当」になっていた。自分が「今どこにいて・いつで・誰なのか」が分からなくなることを指す医学用語で、主に脳の障害や認知症などで見られる状態だ。そんなときはコレスポンデンスバイアスを持ちやすくなる。人の行動を「その人の性格のせい」と決めつけ、状況要因を軽く見てしまう認知バイアスだ。例えば、避難所で少し親切にされただけで、「この人は善人だ」と決めつけてしまうようなことだ。まさか親切にしてくれた男性が、自分を性的対象として見ているとは思わなかった。
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●文/河田俊男(かわだ としお)
1954年生まれ。心理コンサルタント。1982年、アメリカにて心理療法を学ぶ。その後、日本で心理コンサルティングを学び、現在、日本心理相談研究所所長、人と可能性研究所所長。また、日本心理コンサルタント学院講師として後進を育成している。翻訳書に「トクシック・ピープルはた迷惑な隣人たち」(講談社)などがある。