病気にはなりたくはないが、なってしまったらどうすればいいのだろう。「従病」という生き方がある。病に負けたとみせて、従わせて生きるというものだ。病気に翻弄されない人生を生きたいものだ。
「Shall we ダンス?」に救われる
42歳の幹人はシステムプログラマーだ。 今まで順調に仕事をこなしてきたが、糖尿病が悪化し、人工透析を受けるまでになった。彼には小中学生の子供が3人いて、住宅ローンもある。まだまだ元気で働かなければならない。しかし、透析を受けると体がだるく、思ったように仕事ができないこともあり、人生を悲観するようになった。会社を辞めても経済的に困窮するわけではないことから、精神面の健康を考えてフリーで仕事をすることにした。すると、精神的に少し余裕ができた。
そんなある日、電車に乗っているときに社交ダンス教室の広告を見た。映画の「Shall we ダンス?」で見たシーンと同じだ。彼は思い切って駅を降りて教室を訪ねると、音楽に合わせて楽しそうに踊っている人たちがいた。教室の先生らしい女性が近づいてきて「ダンスはどうですか?」と声をかけられた。幹人は簡単なステップを教わり、先生と踊ることになった。生まれて初めての社交ダンスで、彼の心は舞い上がった。
その後、幹人は毎日にように社交ダンス教室に通うようになった。すると、糖尿病になる以前のような軽やかな精神状態になった。それまでは糖尿病が悪化して、あと10年は生きられないだろうと思い込み、トイレにこもって泣いた日もあった。ところが、ダンスをすることで「いつまでも健康でいたい」という気持ちが沸いてきて、つらい状況から這い上がることができた。
農作業で健康を取り戻す
38歳の洋一は糖尿病で、自分でインスリン注射を打っていた。糖尿病になった原因はテレビ番組の制作会社に勤務していたときに仕事に忙殺され、不規則な生活で暴飲暴食を繰り返していたことだ。糖尿病になってから、うつ病も併発した。このまま仕事を続けていたら死ぬかもしれない、そんな恐怖に襲われた。どうせ短い人生なら好きなことをやろう、と思い立って会社を辞めた。そして大好きなビンテージ物の衣料品や雑貨を輸入して、ネット通販を始めた。だが、思ったようには売れず、生活は不安定になり、将来への不安が募った。
そんなとき、高級食料品店でおいしそうなイチゴを見かけた。思い切って買って食べると、今まで感じたことのない爽やかな甘みで感動した。今まで一度も作物を育てたことはなかったが、イチゴを作ってみたいと思った。ネットで調べながらやってみると、なんとか食べられるイチゴができた。
自信を得た洋一は、小さな農地を借りて野菜を作り始めた。見栄えはよくないが、おいしい野菜ができた。さらに大きな農地を借り、農家に教えてもらいながらキャベツを作って無人販売所で売った。自分の野菜が売れたことがうれしく、これからの人生が好転するような気になり、将来への不安が少し消えた。
洋一は機械を使わず、昔ながらの農具で畑を耕していたので真っ黒に日焼けし、以前の彼とは別人のようにたくましくなった。日々、農作業で体を動かしていたことや収穫した野菜中心の食事のおかげで血糖値は正常に戻り、うつ気分もなくなり、健康を取り戻した。
●文/河田俊男(かわだ としお)
1954年生まれ。心理コンサルタント。1982年、アメリカにて心理療法を学ぶ。その後、日本で心理コンサルティングを学び、現在、日本心理相談研究所所長、人と可能性研究所所長。また、日本心理コンサルタント学院講師として後進を育成している。翻訳書に「トクシック・ピープルはた迷惑な隣人たち」(講談社)などがある。