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判例に学ぶ労使トラブルの処方箋/岡正俊

引き継ぎをしなかった退職者に損害賠償を請求できるか?〜P社事件(横浜地裁H29.3.30判決、労判1159号5頁)〜

近年、労働関係の訴訟は社会的関心が高まり、企業にとって労使トラブル予防の重要性は増しています。判例をもとに、裁判の争点やトラブル予防のポイントなどを解説します。(2024年10月22日)

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【事案の概要】
 原告会社は、コンピュータのソフト・ハードウェアの設計・製造・販売等を目的とする会社です。被告は、平成26年4月1日に原告会社にシステムエンジニアとして入社しましたが、うつ病にかかったとして退職しました。原告会社は被告がうつ病と偽って退職し、就業規則に違反して業務の引き継ぎを行わなかったことが不法行為に当たるなどと主張して、被告に約1,270万円の損害賠償を求めました。




 一方、元従業員の被告も自分に対する訴訟提起等が違法行為に当たるなどとして、原告会社と代表取締役に対し、330万円の損害賠償等を求めました。なお、原告会社の就業規則には、以下の定めがありました。

・自己の都合により退職しようとするときは、少なくとも90日前までに退職願いを所属最高責任者に提出し、許可を得て総務部に届け出るものとする

・退職の願いが受理され、又は解雇を申し渡された場合は、定められた期間内に業務の引き継ぎを完了し、その結果を所属長に報告するものとする


【裁判所の判断】
 裁判所は被告のうつ病については「虚偽とは言い難い」としました。そして、原告会社の取引先からの受注を失ったこと(取引先への増員が取り消されたことによる1年分の損害)などが「損害に当たる」との主張について、裁判所は原告主張の損害と被告の行為との間には「因果関係がない」としました。民法627条2項(※改正前)所定の期間の経過後においては、被告がそううつ病である旨を述べたかどうかにかかわりなく、辞職の効力が生ずることになるためです。

 原告が主張する損害(被告が退職したことにより他の従業員が穴埋めを余儀なくされたことによる損害等)についても認めませんでした。就業規則に定める業務の引き継ぎをする間もない急な退職によって原告主張の損害が生じたこと、つまり、被告の退職が急でなければ損害が生じなかったことを認めるに足りる主張立証もないとしています。

 一方、被告からの損害賠償請求(反訴)については、裁判制度の趣旨から「著しく相当性を欠く」として違法性を認め、原告会社に110万円の支払いを命じました。上記のように原告に損害がないことは通常人であれば容易に知ることができ、被告に対する請求も被告の月収の5年分以上の大金を請求するものであるからです。

※民法627条1項:当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から2週間を経過することによって終了する。

同2項:期間によって報酬を定めた場合には、使用者からの解約の申入れは、次期以後についてすることができる。ただし、その解約の申入れは、当期の前半にしなければならない。

改正前民法627条2項では主体が限定されていませんでしたが、改正により上記のとおり使用者からの解約についてのみ適用されることが明確にされました。従って本件が民法改正後の事案であった場合、民法627条1項により2週間で辞職の効力が発生したことになります。
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●文/岡正俊(おか まさとし)
弁護士、杜若経営法律事務所代表。1999年司法試験合格、2001年弁護士登録(第一東京弁護士会)。専門は企業法務で、使用者側の労働事件を数多く取り扱っている。使用者側の労働事件を扱う弁護士団体・経営法曹会議会員。
https://www.labor-management.net/
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