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やる気を引き出す仕組みや教育制度などの人事施策、働きやすい職場環境の実現など、人に関する企業事例を紹介します。(2019年6月27日)
ホームページ/ http://www.sensyo-ltd.co.jp
事業継承は、起業よりも難しいと言われている。起業はゼロからのスタートだが、事業継承はマイナスからのスタートというケースもあるからだ。
株式会社センショーは大阪市西成区のメッキ工場である。再雇用の年配の男性社員が中心だった町工場を引き継いだ女性社長は、20代を中心にさまざまな年齢の男女が生き生きと働く工場へと変えた。どのような取り組みをしたのだろうか。3代目社長として事業を継承した堀内麻祐子さんに聞いた。
―どのような経緯で社長をつとめられるようになったのでしょうか?
当社は、私の祖父母が82年前に創業したメッキ工場です。1994年頃からは、病床にあった社長の叔父を、専務の父がサポートして会社を運営していました。ところが父も病気で2008年頃から入退院を繰り返すようになりました。父が入院したときに、代わりに私が会社の事務に携わるようになったのが発端です。
2010年に父が亡くなり、翌年私が事業を継承しました。そのとき、現在の社名で会社を新たに設立し、以来、代表取締役社長として経営にあたっています。社名は祖父と祖母の名前から一字ずつ取り、センショー(千正)としました。
社長の堀内麻祐子さん、総務担当主任の竹原沙紀さん(右)
―社長就任から8年の間に、社員数は3倍以上、工場も2拠点増え3工場となりました。どんな取り組みをされたのですか?
引き継いだ当時の社内の様子は小さな町工場そのもので、18名の社員は60代の男性が中心でした。それも長く当社で働いてきた方は2名ほどで、定年退職後にアルバイトとして勤務していた人が多い状況でした。60代の人は10年後には70代になります。そのときの会社を想像し、将来のために若手社員が必要と考えました。
ところが採用活動をしても、うまくいきませんでした。どこに問題があるのか、どうしたらうまくいくのかを知りたくて、たくさんの町工場を訪問しました。そこで気づいたのは、事務所で女性社員が生き生きと働いているところは良い会社に見えたことです。昔ながらの工場に隣接する小さな事務所でも、きれいに掃除が行き届いていて、来客があれば笑顔で応対する。その少しの差で、工場や会社の印象が変わりました。
>>>次ページに続く
・現在はたくさんの女性が活躍中です。転機はなんでしたか?
・どんな教育制度ですか?
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