今、就いている仕事は、子供のころに憧れた仕事だろうか? 多くの人は「違う」と答えるかもしれない。子供は好きなように夢を語る。だが、大人になって子供のころの憧れや夢を思い出すとつらくなる人もいる。
やりたい仕事が分からない
大学卒業後、輝幸は自動車関連会社に入社した。入社して分かったことは、ほとんどの従業員が理系で、経済学部出身の輝幸のような文系は少ないことだ。そのせいか分からないが、彼は自分は会社に期待されていないと考えており、日々「入社した会社を間違ったかもしれない」と後悔していた。
輝幸は憧れた有名大学や一流企業に入れなかった自分を負け組と思い、深酒してしまうことが少なくなった。ある日、先輩たちと飲みに行った。酔いが回ってくると、先輩たちは会社や上司への不満ばかり言っていた。そんなに不満があるのに、なぜ先輩たちは会社を辞めないのか、輝幸は疑問を感じた。
しかし、輝幸にも「やりたい仕事が分からない」という大きな悩みがあった。会社を辞めたくても、辞めてどうすればいいのか分からない。だから毎日のように、「あのとき〇〇すればよかった」「なぜ、あのとき〇〇しなかったのか」などと後悔ばかりして、精神的に疲れきっていた。
過去を嘆いてばかり
輝幸は、会社に入れば楽しい生活ができると思い込んでいた。仕事は楽しく、毎月給料をもらい、好きな趣味も楽しめる。ところが、入社しても期待されず、職場に自分の居場所を見いだせなかった。給料はもらえても、自分の存在価値を認めてもらえないことに不安を感じた。そして、今の会社に入ることになった経緯を考えているうちに、過去を思い出すのだ。
大学受験に失敗した輝幸は1年間浪人し、目指していた大学を再受験したが、合格できなかった。彼は「もう1年浪人していれば合格したかもしれない。そうすれば今の会社ではなく、もっといい会社に就職でき、自分のやりたい仕事に就けたかもしれない」と後悔し、うつ気分にさいなまれていた。
将来の夢がない
子供のころ、輝幸はサッカー選手になりたいと思っていた。だが、当時の子供が誰でも言うことをまねしていただけだった。仕事について真剣に考えるようになったのは、就活を始めたころだ。思い返してみると、輝幸は「やりたい仕事が分からない」ばかりでなく、将来の夢も、憧れた職業もないことに気がついた。
会社の先輩たちは、表面的にはイキイキと仕事をしているように見えたが、会社を離れて酒が入ると不満ばかり言っていた。上司の性格や仕事ぶりに対する不満や、上層部に将来のビジョンがないという不満だ。そうした不満を聞くと、輝幸はますます自分の将来が不安になった。
●文/河田俊男(かわだ としお)
1954年生まれ。心理コンサルタント。1982年、アメリカにて心理療法を学ぶ。その後、日本で心理コンサルティングを学び、現在、日本心理相談研究所所長、人と可能性研究所所長。また、日本心理コンサルタント学院講師として後進を育成している。翻訳書に「トクシック・ピープルはた迷惑な隣人たち」(講談社)などがある。