小杉造園株式会社/大きな教育投資が結実 世界に通ずる植木屋に!
東京都世田谷区を拠点に造園業を営む小杉造園では、職人的技術の教育を積極的に行うことで、今や世界に通ずる職人集団に飛躍を遂げた。教育への投資額が膨れ上がりながらも、代表取締役の小杉左岐さんが信念を貫き通した結果、見事に実を結んだ。同社の取り組みについてレポートする。
世界に通ずる植木屋を目指す
小杉造園株式会社の創業は1943年だが、源流は今から約320年近く前の延宝年間にまでさかのぼる。1673年、東京は世田谷の地で農業を営みはじめた家が同社のルーツだという。小杉さんはこう説明する。「農作業と並行して、周囲の求めに応じるままに庭木の手入れなどを請け負うようになり、次第にそれが本業になっていったのでしょう。かつての世田谷は農村地帯であり、小さい家でも100坪を超える広い敷地を有していました。どの家も庭がありましたから、周辺のお客さまの庭の手入れだけでも事業は成り立っていました」
時代が高度経済成長期を越え、バブルを迎えるころには状況が変わっていく。相続などの問題から住宅の大きな敷地を売却せざるを得なくなり、100坪を4分の1に分割して建売住宅として販売するといったケースが続出したのだ。小さい敷地には、手入れが必要なほどの庭は存在しない。地縁だけに頼った造園業が先細りになるのは自明だった。
代表取締役 小杉左岐さん
危機感を抱いた同社は、デベロッパーと組んでマンションの庭園造りに進出するなど、早くから新しい道を模索してきた。しかし、新規分野に活路を見いだすだけでは状況は打開できないと小杉さんは考えていた。「高度な技術を持っているにもかかわらず、職人の地位が圧倒的に低いがゆえに、人が集まらなくなってしまうのではと危惧していました。そこで、技術に誇りを持てるような場を作ることで、働く者たちの自信を深めたいと考えるようになったんです」
小杉さんがイメージしたのは、日本のモノ作りを担う先人たちの成功事例だ。小杉さんはホンダの故本田宗一郎氏の世界一へのチャレンジ精神と松下電器(現パナソニック)の故松下幸之助氏の世界一の技術力を崇拝している。植木屋でもやり方次第で、ホンダやパナソニックが世界に飛躍したようなチャンスをつかめるのではないか、と世界で名誉を得たいと夢を膨らませていく。
技能オリンピックへの参加
本格的に世界への挑戦を決めたのは、90年代後半に小杉さんが「技能オリンピック」の存在を知ったのがきっかけだった。技能オリンピックは、工業技術から美容、食品まで多様なジャンルの若手技術者が技を競い合う国際大会である。造園も新たに競技として認められることになったことから、同社は1997年に参加を計画。2年後の99年のモントリオール大会で見事、4位に輝く。 しかし、4位という成績では、ほとんどインパクトは得られなかった。注目されるのは金メダルに輝いた団体のみ。厳しい現実に直面した同社は1位を目指してとことん頑張ろうとした。しかし、2年後のソウル大会では7位に沈んでしまう。
勝つためには何が必要なのか。小杉さんたちが真剣に考えた結果、教育にもっと投資をすべきだという結論を導き出す。2003年、熱海にある企業の保養所を買い取り、熱海研修所を開設。この場所で若手の職人を育てる“英才教育”を施していくことにした。「技能オリンピックにおける造園の判定基準は、ヨーロッパ主体の技術がベースとなっています。私たちは植栽技術には自信がありましたが、欧州式の石の扱い方などは素人も同然でした。熱海研修所ではまさに世界標準の技術を身につけさせるべく、カリキュラムを組んでいきました」
研修中の職人たちが業務に入ることもあるが、大多数の時間を研修所での技術研さんに充てさせた。世界を肌で体感させるのも大事だからと、若手をドイツなどに派遣して現地技術を学ばせる研修なども行っていく。当然、経費は莫大なものとなる。熱海研修所の購入だけでも1億円以上を要し、各種経費も何千万円単位となった。「社内外から批判がなかったわけではありません。私自身、中小企業にとってはきつい投資だというのは理解していました。それでも信念を曲げなかったのは、世界で勝てば、必ずその先に新しい領域が見えてくると信じていたからにほかなりません」
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●小杉造園株式会社所在地/東京都世田谷区北沢1-7-5設立/1943年資本金/4,000万円従業員数/75人事業内容/造園土木・植栽工事に関するコンサルティング・設計・施工管理などホームページ/ http://kosugi-zohen.co.jp/
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