近年、マスコミで芸能界の性加害問題が相次いで報じられ、注目を集めている。性加害は心の殺人であり、生涯にわたって心の傷が癒えない人もいる。深刻な犯罪であることは、世界の共通認識だ。
女優になりたかった
これから記すのは30年ほど前にあったことだが、今も同じようなことが繰り返されていて驚いてしまう。以下、個人が特定できないように加工して書く。菜穂子は子供の頃から女優に憧れていた。演劇の基本を身につけるために劇団の養成コースに入り、日本舞踊やダンスも習っていた。その努力が実を結び、ある芸能プロダクションに入ることができた。だが、仕事はなく、オーディションを受けても落ち続けていた。
ある日、プロダクションの幹部に相談してみることにした。すると彼は「一晩付き合えば、仕事が入るかもしれないよ」と言った。彼女は夢をつかむために、テレビ局や映画会社のキャスティング担当者たちと会い、疑似恋愛のような接待をすることになった。やがてテレビドラマや映画の小さな役柄の仕事が入るようになった。有名俳優と一緒に仕事ができた日は興奮して眠れなかった。
フラッシュバックが起こる
プロダクションに入ってから、気がつくと5年が経過していた。接待をしても端役のオファーしかなく、30歳になったのを機にやめた。芸能界を離れてしばらくすると、彼女は自分を責めるようになった。ある日、心がつらくなり、勤務先のトイレで号泣した。フラッシュバックが頻繁に起こり、気分が不安定になったので実家に戻ることにした。彼女は精神科で発症遅延型のPTSDと診断された後、癌を患い、あっという間に亡くなってしまった。
彼女は相談したプロダクションの幹部に「かわいい女性は掃いて捨てるほどいる」「女優になりたい人はたくさんいる」「演技のうまい人もいる」「でも、チャンスがなければ仕事はない」などと言われ、接待することを決めた。接待について、菜穂子は演技のトレーニングだと思うことにした。ドラマの役柄で恋愛をすることもあり、時にはベッドシーンもある。チャンスを手にするために、彼女は接待相手の要望に応えることにした。
発症遅延型のPTSD
接待をしていた当時、菜穂子は情緒不安定や不眠になることはなく、普通の生活をしていた。しかし、彼女の精神状態は「解離」という状態だった。性被害の現実から感情を切り離し、麻痺させていたのだ。だから落ち込むこともなかったが、実際にはPTSDの状態だった。
菜穂子の精神状態が不安定になりはじめたのは、女優をあきらめた頃からだった。発症遅延型のPTSDである。ショックな出来事から時間が経過してから、さまざまな症状が出てくるものだ。彼女は接待による性被害で複数回、中絶手術をしていた。手術中のことがフラッシュバックするようになり、めまいや吐き気がするばかりでなく、夜中に目が覚めたり、悪夢にうなされたりするようになった。彼女は「なんとバカなことをしたのか」と自分を責めてうつ状態になり、誰にも打ち明けられずに孤立した。
●文/河田俊男(かわだ としお)
1954年生まれ。心理コンサルタント。1982年、アメリカにて心理療法を学ぶ。その後、日本で心理コンサルティングを学び、現在、日本心理相談研究所所長、人と可能性研究所所長。また、日本心理コンサルタント学院講師として後進を育成している。翻訳書に「トクシック・ピープルはた迷惑な隣人たち」(講談社)などがある。