事故は「まさか?!」と思うときに起こる。例えば、自動車を運転中に死角からいきなり人が飛び出してきて、急ブレーキを踏んだことはないだろうか。冷や汗をかく瞬間だ。日ごろから注意をしていても、予測できないことがある。
あわやダンプカーの下敷きに
62歳の晃は、警備の仕事について1年になる。以前は、企業で管理職をしていたが、60歳で退職し、今の仕事に就いた。体を鍛える意味もあり、やりがいを感じていたが、工事現場の警備は大変だった。冬の寒い時期は「カイロ」を背中や腹部に貼って仕事をした。夏は休憩時間に水分や塩分が取れて、熱中症の予防対策はできていたが、それでも過酷だった。
そんなある日、交代する時間の30分ほど前から雨が降ってきた。交代まで残り10分になったところで、晃はトイレに行きたくなった。ちょうどそのとき、作業を終えたダンプカーがバックで外に出ようとしてきた。晃が、ダンプを外の道路に出そうとしたとき、自転車に乗った老人がすごい速度で接近してきた。晃は老人を通そうとしたが、ダンプカーに停止のサインを出し忘れた。老人は間一髪のところで通り過ぎたが、晃はダンプカーに接触して倒れ、「死ぬかもしれない」と思った。
その状況を見ていた作業員が、ダンプカーの運転手に「止まれ!」と怒鳴った。声に気づいた運転手はダンプカーを止め、晃は下敷きになるところをまぬがれた。救急車で病院に運ばれて検査を受けたが、奇跡的に異常は見つからなかった。後日、会社に報告すると「もっと注意しないとダメじゃないか!」と叱責された。会社の冷たい対応に落胆し、会社を辞めることにした。
さまざまな状況が重なる
事故は、さまざまな要因が重なって発生する。まず、雨が降っていて視界が悪かった。また、運転席はクーラーの音や雨音で、外部の音がほとんど聞こえない状態だった。ダンプカーの運転手は腰痛がひどかったので、振り返って後ろを確認せず、サイドミラーだけを見ていた。警備員もいるので「大丈夫だろう」と思っていた。すると、声が聞こえた。外を見ると、作業員が両手を大きく振りながら「止まれ!」と怒鳴っていた。運転手はすぐにブレーキを踏んだ。
晃は警備員の仕事を1年やり、現場にもなじんできていた。交代まで10分になり、雨が降り始め、トイレにも行きたかった。そんなとき、自転車に乗った老人が近づいてきた。晃は老人に気を取られ、ダンプカーに停止の合図を出すのを怠ってしまった。
スイスチーズ・モデル
スイスチーズ・モデルという安全管理の考え方がある。イギリスの心理学者、ジェームズ・リーズン氏が提唱したもので、事故は複数の事象が連鎖して起きることを視覚的に表した概念だ。
例えば、工場で事故が起きた場合、さまざまな要因が考えられる。組織要因(方針・体制の不備、リソース不足など)や人的要因(ヒューマンエラー、過労など)、作業環境(手順の不備、マニュアルの抜け漏れなど)などだ。それぞれの要因を防ぐために対策を講じていても、アクシデントやトラブル(穴)が起きる可能性がある。そして、事故はその穴が一直線に並んだときに起きる。つまり、1つのアクシデントやトラブルだけでは事故は起きず、それらが重なったときに発生するということだ。雨が降っていたことやダンプカーの運転手が注意を怠っていたこと、晃がトイレに行きたかったこと、スピードを出して自転車などが重なり、事故が起きたのだ。
視覚に入っていても見えていない?
フロリダ州立大学の心理学者、ロイ・バウマイスター氏によれば、人は自分をコントロールする際、心の燃料のようなものが必要だという。その燃料とは、自分の行動や思考、感情といったものだ。また、自分をコントロールするとき、同時に2つのことを実行しようとすると、2番目の達成度が下がることも分かっている。
晃は、自転車の老人とダンプへの指示を同時に行おうとしたが、老人を優先したために、ダンプへの指示を実行できなかったのだ。また、「非注意性盲目」という心理的な現象もある。自分が注意を向けていないものは、視覚に入っていても見えないというものだ。例えば、歩きスマホがあげられる。スマートフォンの操作をしながら歩いていると、視覚に人や障害物が入っていても気づかない。晃は老人に注意を奪われて、心理的にダンプが見えていなかったのかもしれない。
人間の注意力のキャパシティーには限界がある。タスクが重なったり、体調不良などで脳の情報処理が間に合わなかったりすれば、事故が起きる可能性は高いだろう。
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●文/河田俊男(かわだ としお)
1954年生まれ。心理コンサルタント。1982年、アメリカにて心理療法を学ぶ。その後、日本で心理コンサルティングを学び、現在、日本心理相談研究所所長、人と可能性研究所所長。また、日本心理コンサルタント学院講師として後進を育成している。翻訳書に「トクシック・ピープルはた迷惑な隣人たち」(講談社)などがある。