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判例に学ぶ労使トラブルの処方箋/岡正俊

従業員の社会保険加入手続きをしなかったら〜H社事件(奈良地判平成18.9.5、労判925号53頁)〜

近年、労働関係の訴訟は社会的関心が高まり、企業にとって労使トラブル予防の重要性は増しています。判例をもとに、裁判の争点やトラブル予防のポイントなどを解説します。(2024年8月27日)

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【事案の概要】
 本件は、原告が要求したにもかかわらず、被告会社が厚生年金等の社会保険の加入手続きをしなかったために、原告が被告に対し損害賠償や慰謝料の支払いを求めた事案です。

 原告は被告会社に約6年間勤務しましたが、厚生年金等への加入手続がされず、退職間際になって、ようやく過去2年分について遡及加入の手続きがされました。そのため、被告は国民年金や国民健康保険の保険料、約308万円の支払いを余儀なくされたことや、厚生年金等に加入していれば約333万円の給付を受け取ることができたなどとして、不法行為・債務不履行を理由に、被告会社に約641万円の損害、慰謝料100万円の合計約741万円から本人負担分約254万円を損益相殺した残額約487万円の支払い等を求めました。





【裁判所の判断】
 裁判所はまず、原告が入社時以降、「厚生年金等の被保険者資格を取得していた」と認定しました。そして、被告会社は、原告が被保険者資格を取得したことを、社会保険庁長官等に届け出る義務を負っていた(厚生年金法27条等)とし、これを怠った点について「違法があった」としました。

 また、事業主の届出義務の趣旨について、保険制度の強制加入の原則を実現するためとしました。強制加入の原則については、保険制度の財政基盤の強化が主目的であるとしつつ、労働者に対しては保険給付を受ける権利を保障する目的も有し、労働者も届出を期待するものであり、その期待は「合理的である」としました。
 こうした事情から裁判所は、事業主が届出を怠ることは、被保険者資格を取得した労働者の法益を「直接侵害する違法なものであり、債務不履行にも当たる」としました。

 被告会社は、原告が社会保険に加入しないことを了解し、これを前提に高額の給与を受けることとして採用したと主張しましたが、裁判所は認めませんでした。その理由として、原告が「同意した」という事実自体認めるには足りないし、社会保険制度は疾病や老齢等のさまざまな保険事故に対する危険を分散することで、社会構成員の生活を保障するものです。そのため、特定の者がその受益を放棄して負担を免れることは本質的に相容れないものであり、合意があっても「届出義務を免れることはできない」と判示しました。
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●文/岡正俊(おか まさとし)
弁護士、杜若経営法律事務所代表。1999年司法試験合格、2001年弁護士登録(第一東京弁護士会)。専門は企業法務で、使用者側の労働事件を数多く取り扱っている。使用者側の労働事件を扱う弁護士団体・経営法曹会議会員。
https://www.labor-management.net/
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