※今回は新年特別編です。事例と問題解決という通常の構成ではない形でお届けします。
酉の市は開運招福・商売繁盛を願う祭で、毎年11月の酉の日(十二支)に行われる。訪れた人たちは「来年は幸運でありますように」と願い、縁起物の熊手を買うのだ。そして、年が明ければ初詣でおみくじを引き、その年の運勢を占う。さて、今年の運はどうだろうか?
運がいいのか、悪いのか?
42歳の裕二は起業家で、大きな成功をおさめていた。彼は2〜3年に1社ほど、新しい会社を起業している。その年の初め、彼は夫婦で有名な神社に初詣に出かけた。神社に着くと混雑の中、なんとか駐車場にとめることができた。そのとき妻は「運がいいわね」と喜んだ。
神社は初詣客で混雑していた。賽銭箱が見えるところに着いたとき、裕二は足元の1メートルほど先に500円硬貨が光っているのを見た。裕二はそのとき「ついてる!」と思い、手を伸ばして硬貨をとった瞬間、誰かに下駄で手を踏まれてしまった。踏んだのは大柄な男性で、彼の手は思った以上のケガを負った。その後、お参りを済ませて駐車場に戻り、クルマを出すと壁をこすってしまった。
彼はこの出来事を仲間たちとの新年会で話し、「今年の俺は運がいいのか、悪いのか?」などといって笑いを誘った。彼は、仲間たちとの間で笑い話になれば、手の傷なんてどうでもいいという性格だった。その後しばらくして、クルマの傷は保険できれいに修理できた。それを見て彼は「すっかり元どおりだ。この程度で済んでよかった」と思った。
幸運思考と人間関係
裕二は、初詣で500円硬貨を見つけたとき、幸運を強く感じた。横領は犯罪行為だが、彼は「自分は千円のお賽銭を出しているから、500円はそのおつりで、神様がくれたものだ」と考えた。彼は自分に都合のいい解釈をしたり、ささいな出来事でも幸運に結びつけたりするところがあった。例えば、けがで右手が使えなくなったら、左手を使うチャンスと考えるのだ。彼はどんな出来事も前向きに捉え、いつも「そこには幸運のチャンスがあるんだ」と言っていた。
裕二は、いつも多くの仲間に囲まれていた。彼は仲間たちに初詣の出来事のようなおもしろい話をしたり、初めて参加した人がなじめるように気を配った。ちょっとしたことでも人に感謝したり、称賛したりするので、協力や支援を受けることができた。
また、さまざまな趣味のサークルに参加していて、興味を持ったらすぐに質問した。彼は「自分は○○に興味を持っているけど、あなたは今どんなことに興味があるの?」などと自己開示するので、相手は自分のことを話してしまうのだ。彼のそうした率直な態度は人を引きつけた。
誰でも自由に発言できる会議
裕二にとってビジネスは趣味や興味の延長にあり、起業するときも自分が好きな分野にしていた。会社のミーティングに社外の人を招待し、自由に意見を言ってもらう機会も作っていた。そこでは、セレンディピティ(偶然の発見)が起こり、幸運のチャンスが生まれることがある。
こうしたミーティングを、コロンビア大学ビジネススクールの非常勤助教授マッタン・グリフェル氏は「セレンディピティの爆弾」と呼んでいる。異質な人同士が結びつくことで新たな反応が起こり、潜在的なチャンスが沸き起こるというものだ。裕二は誰でも自由に発言できる雰囲気が好きでやっていたことだが、無意識的に理にかなった行動をしていた。
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●文/河田俊男(かわだ としお)
1954年生まれ。心理コンサルタント。1982年、アメリカにて心理療法を学ぶ。その後、日本で心理コンサルティングを学び、現在、日本心理相談研究所所長、人と可能性研究所所長。また、日本心理コンサルタント学院講師として後進を育成している。翻訳書に「トクシック・ピープルはた迷惑な隣人たち」(講談社)などがある。